【四字熟語の処世術】「出処進退」(しゅっしょしんたい)

 Date:2016年09月05日09時27分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任


 国会議員などのスキャンダルで良く聞く言葉だ。議員辞職すべきとの世論が高まる中、その地位に執着する議員へのコメントで「議員の出処進退は議員自身が決めることです」などと、マスコミに他の議員が話している。「早くやめればいいのに…」と思いつつも、議員という同じ立場で本音は言えないといった、そんなニュアンスが含まれた言葉に感じる。

 出処進退…辞書には「官職や地位にとどまっていることと,やめて退くこと。身の振り方や身の処し方。」とある。

 人の出処進退で最も難しいのは「退」の時だと思う。潔さを好む日本人にとって、「退」の時機と身の振り方次第では、晩節を汚す結果ともなる。誰もが分かってはいるが、いざ自分のこととなると見えなくなってしまう。その一つがこの「出処進退」だ。

 以前は仕事がら多くの上司に仕えた。そんな彼らの多くが「地位や名誉に執着する人の気持ちはわからなんな」と口にするのを何度も耳にした。この言葉は彼の上司が「退」の時機にあるのに、自身の地位にしがみついて、醜態を晒している時に聞かされた。名誉や地位は、それを持たない人にとっては何も執着することは無いが、一度、それを手に入れると失うことの怖さが心を支配し、しがみつこうと必死になるようだ。だから、自分の上司の醜態に眉をひそめていたその上司もまた、同じように自分がその地位を失うときには、同様の醜態を晒していた。

 人はなかなか「素の自分」で戦うことはできない。常に地位という鎧で身を纏おうとする。地位は権力の象徴である。故に、権力に弱い多くの人は、その地位の前に頭を垂れて従う。しかし、それは面従腹背とまではなくても、地位に対して従順の意を表しているだけのことが多い。その地位にある者も多くはそれを知っている。分かっているのだが、素の自分では勝負にならないことも分かっている。だから、その地位を失うことを殊の外恐れてしまう。

 名誉や地位に頼らずとも素の自分で勝負することができる人は、名誉や地位への執着など少しも無いはずだ。失うものへの恐れもないだろう。だから、出処進退にも潔さが表れる。

 「素の自分」とはその人の持つ「徳」だと思う。徳は言葉を換えれば「光」である。光が周りを明るく照らすように、徳ある人のもとに人は集い、群れをなし、事を成す力となる。地位が生み出す権力では無く、皆の光が結集して生まれる力だ。

 そんな上司が率いる集団が、成功を収めているケースを時折耳にする。日本を支える社会の希望でもある。