【四字熟語の処世術】暗中模索(あんちゅうもさく)

 Date:2016年05月27日12時04分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任


 先日、出雲大社の近くに住む大先輩から昔出雲地方を襲った大洪水の話を聞かせてもらった。なんでもその大洪水で彼の住む家の裏山は崩れ、家屋は倒壊。真っ暗闇の中、手探りで外への出口を求め、文字通り暗中模索し、死をも覚悟したという。

 彼は私の父よりも年長で、信頼できる人生の大先輩なのだが、厚き信仰心のなせる技なのか、目の前に現れた光に導かれるようにして出口にたどり着き、九死に一生を得ることができたという不思議な体験も話してくれた。

 こうした自然災害が他人事でないことは最近の熊本大震災を例に出すまでもなく明らかだ。日本に住む限り自然災害の被災リスクは相当に高いことを覚悟しなければならない。

 もうすぐ梅雨本番となる。適量の雨は稲や夏野菜にとっては恵みとなるのだが、豪雨となれば時に人命にも関わる大事故に繋がりかねない。「ゲリラ豪雨」という言葉もすっかり定着した感がある。6月から10月頃までに発生する台風も、最近ではその力が大きくなっているようで怖い存在だ。温暖化の影響だとは思うが、年々、気象がこれまでとは違った激しい変化をもたらしていることは、気象庁のレポートを待つまでもなく、自分の肌が敏感に感じている。

 暗中模索…くらやみの中で手さぐりして捜すこと。転じて、様子がはっきりせず、目的を達する方法が分からないまま、いろいろ探るように試みること、と辞書にある。

 先輩はまさに暗闇の中を模索し続ける経験をされたわけだが、私もまた人生という旅路の中で、いつも暗闇に迷い出口を求めてあがいているように思う。一寸先は闇という諺があるが、一寸先どころか、今現在立っている場所がはっきりと見えてはいない。まさに暗中模索の状態だ。ただ遠くにではあるが、見え隠れする微かな光の存在も感じている。今はその光を頼りに小さな一歩を恐る恐る前に出しているという状況だ。

 進む一歩が正解の一歩なのかも分からない。微かに見える光さえ出口を照らす光なのかどうかも分からない。ただその光を信じるのは、その光が自分自身の内なる光のように思えるからだ。

 今、私は思う。きっと誰もがこの光を持ち、この光に導かれて人生を歩んでいるのだと。そして、その光を信じること、それが自分自身を信じることに他ならないと。そしてまた、それが人生にとって大切なことなのだと。