【四字熟語の処世術】一汁一菜 いちじゅういっさい

 Date:2017年02月13日10時11分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任


 一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ…ご存じ宮沢賢治「雨ニモマケズ」の一節である。玄米4合とは少し多くはないかと思うが、玄米、味噌汁、野菜の組み合わせは現代の食育の専門家も口をそろえて体にいいと言っている。

 料理研究家の土井善晴さんはテレビや雑誌などで日本古来の一汁一菜の食の型を取り戻し、お母さんたちが料理作りのストレスから解放されることを提唱している。決して手抜きではなく、素材の持ち味を引き出すシンプルな料理、手をかけないことがおいしさに繋がるとの考えだ。

 一汁一菜は粗食、つまり粗末な食事という意味で用いられることもある。だが昨今はこの粗食こそが健康にも良いと注目の的だ。食生活の欧米化や飽食による生活習慣病の蔓延がその背景にある。

 そう考えると粗食を粗末な食事と捉えてはイメージが食い違う。音は同じでも素食と言った方が的を射ているような気もする。質素でも素材の良さを活かし、体が欲する栄養素をバランス良く体に取り入れることが出来る素晴らしい食事と定義付けが出来そうだ。

 しかし、残念なことに「素食」は中国や台湾で既に使われている。三厭(さんえん)といわれる空を飛ぶ鳥の肉や地を這う牛や豚の肉、水に住む魚貝類、また五葷(ごくん)と呼ばれる五種の食物(ネギ、ニンニク、ニラ、ラッキョウ、アサツキ)を使わない料理の事だ。

 台湾では街の至る所に「素食」の看板を掲げた店があり、中には高級レストランもある。台北駅にあるビュッフェスタイルの素食店は列ができるほどの人気店だ。国民の10㌫いるとされる菜食主義者や健康志向の人たちに支持されている。

 菜食といっても日本人がイメージする野菜だけの食事とはほど遠い。グルテンや蒟蒻などを肉や魚もどきに加工したバリエーション豊かなメニューは決して質素な食事ではない。しかし、本来の素食は仏教徒や道教の修道士の食事として生まれたもの。基本は質素な食事で粗食と同義のはずである。

 ともあれ、粗食にしろ素食にしろ、現代の日本人が日常の「食生活」を見直す必要に迫られていることは間違いない。医療費の負担増は国にとっても国民にとっても大きな課題である。世界中が和食に注目している今、当の日本人がその和食から遠ざかってはもったいない。今こそ古人の英知に学び、本来の一汁一菜、粗食の大切さを考える時期だと思うのだが…。