【四字熟語の処世術】「上善如水」(じょうぜんはみずのごとし)

 Date:2015年12月01日12時01分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任


 上善は水の如し…老子道徳経にある言葉だ。狭義の四字熟語とは言えないかもしれないが、漢字4文字の熟語だから今回はこの老子様のことばに学びたいと思う。

 さて、この言葉、お酒の銘柄かと思われる方も多いのではないかだろうか。白瀧酒造さんのお酒「上善如水」もホームページ上に命名は老子様の思想に重ねたとある。

 なぜこの上ない善が水のようなのか…このことを老子様は自ら「最上の善は水の性質に似ている。水はあらゆる物に恵みを与えることはあっても、決してそれらと争うことはない。そして、誰もが嫌がるような最も低いところに流れ落ちてそこに止まっている。この水の性質こそが、道に近いと言える」と教えられた。

 老子様が水の性質を道に近いと言われたのは、人も水のごとくあれということだろう。だとすれば、水の性質をまずは確認する事から始めなければなるまい。

 水は高いところから低いところに流れる。これは誰もが知る水の性質だ。つまり、老子様は、人もまた、高いところを望むのではなく、低いところに身を置くよう教えられたのだ。言葉を変えれば、常に謙虚であれという事。常に人の下にいて、人を上から引っ張るという意識ではなく、人を下から支えるという意識を持つことが大切だということだろう。謙譲以って美徳と為す…老子様の説かれる徳とはきっと誰もが気づきもしないような、返って嫌悪するような低い低いところにあるのだろう。時に、老子様は「谷神」という言葉も使われているが、神は低い谷に宿る、つまり、最上の徳はもっとも低い谷に集まるという意で、水の喩えと同義である。

 水はまた、何かにぶつかってもそれに抵抗するわけでもなく、ただ悠然としなやかに流れを変えて下に向かう。人も物事に対するに争う心を持たず、相手の考えを尊重し、身を委ねて相手の心の奥深くに入っていくことが大切なのだろう。人はそのしなやかさにいつしか自然と心を開いて行く。つまり、相手を変えるのに外側からの力によるのではなく、相手の心の中にあって、内側から和を為す姿勢、それが水の性質に習った生き方なのである。

 さらに、水はあらゆる容器に合わせて形を変える。これもまた水の持つしなやかさだ。相手に合わせて柔軟に自分を変えることができる人は器の大きい人である。

 こんな柔なイメージの水だが、ゆっくりと静かにではあるが、その流れは時に山を侵食し、岩をも砕き、土石を運ぶ力を秘めている。人もまた、水の性に習う事が出来れば、最下にいて心は安らかであり、柔軟に事に当たり、困難な壁に直面しても悠然と向きを変えて流れ、一見、その壁に負けてしまったかのごとく見えても、いつしかその壁を打ち砕くだけの強い力を身につける事ができるのだろう。

 柔にして剛、弱にして強である水、最上の善、最上の徳とはまさにこうした水のような性質を身につけた人のことだと、老子様は教えておられるのである。