【街景寸考】「膝の継ぎ当て」のこと

 Date:2022年10月20日17時17分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 小学生の頃は膝の辺りが擦り切れたズボンをはいていることがよくあった。膝小僧が見えるくらいまで大きく裂けているときは、祖母に継ぎ当てをしてもらっていた。
ところが、祖母が継ぎ当てしたそのズボンをはくのがわたしは嫌でならなかった。まるで白黒の胡麻がばらまかれているような手縫いのその部分に、子どもながら野暮ったさを感じたからだった。

 祖母の手縫いを野暮ったく思うようになったのは、ミシンを使って縫われた膝の継ぎ当てをはいた子どもを街で見てからである。ミシンで継ぎ当てされたものは、縫い目がスマートに見え、都会的な恰好良さを感じたのである。以後、ミシンで継ぎ当てをしたズボンをはいている子どもを見るたびに、自分の家にミシンがないことを悔やんでいた。

 ところが日本の経済が豊かになるにつれ、裂けたり破れたりしたズボンをはいている子どもはもちろん、継ぎ当てをしている子どもをほとんど見ることはなくなってきた。破れる前に次々と買い替えていく贅沢な時代になったからである。

 現在では裁縫好きの人が高性能の電動ミシンを駆使して洋服を仕立てたり、趣味の小物を作ったりすることはあっても、継ぎ当てをするためにミシンを使うということはない。

 もっとも、ジーンズだけは若者を中心に他のズボンとまったく異なる扱いを受けているように見える。膝の辺りをわざと切り裂いてボロボロにしてはくというファッションだ。50年ほど前のわたしが学生だった頃は、膝の辺りをわざと擦って白っぽくしてはくというファッションが流行していたが、それが更に「進化」したということなのだろう。

 このボロボロジーンズを初めて見たときは、正直ギョッとさせられた。そして、てっきり膝の辺りの布地を自分で裂いたり綻ばせたりしたのだろうと思っていたら、そういうジーンズを売る専門店があることを聞いて二度びっくりしてしまった。

 現在、更にこのボロボロが「進化」し続けているようだ。これまでは両膝に1か所ずつ裂けた部分を晒していたが、最近は腿の辺りまでボロボロの裂け目を晒してきた。しかも腿の部分だけで2段、3段と引き裂いているジーンズも珍しくなくなった。

 ここまでくると、昭和生まれのわたしは美意識という点でついていけないというのが実感だ。というか、「このボロボロのどこがファッションなんだ」と叫びたくなる衝動にかられることもある。そもそもズボンとしての機能が果たされていないではないか。

 世間で流行しているからといって、あるいは有名人が着ているからといって、ファッション性があるかのように思っているのだとすれば、あまりにも野暮ったく軽薄である。周囲に影響されることなく、自分らしいファッションを追求してほしいというのが昭和生まれのわたしの考えである。

 更に言えば、ファッションとは街を楽しく、そして美しく見せる「花壇」のような存在であってほしい。ジジイのたわごとである。