【街景寸考】クジラのこと

 Date:2019年01月09日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 昭和30年代、日本の捕鯨は真っ盛りだった。今でこそ庶民にとってクジラは高嶺の花だが、当時はとても安く買うことができた。特に塩クジラは好むと好まざるとにかかわらず、毎日のように食べさせられた。あまり食欲がないときでも塩クジラを食べると、ご飯のおかわりをすることができた。口の中に入った塩クジラの濃い塩辛さを和らげるには、急いでご飯を掻き込むほかなかったからだ。クジラの刺身やステーキは美味しかったが、塩クジラほどは安くなかったのか、たまに食べさせてもらえるだけだった。

 当時、下関市に大洋漁業という水産会社があった。捕鯨で会社を大きくし、大洋ホエールズというプロ球団まで立ち上げた。今の横浜ベイスターズの前身となる球団である。昭和35年に初めてリーグ優勝をし、日本シリーズでも優勝したことがあり、このときの大洋ホエールズの勢いは日本捕鯨の勢いそのもののように思えた。

 その後、鯨肉が次第に魚屋さんから見られなくなってきた。この間、クジラ資源が枯渇してきたということや、日本に対する非捕鯨国からの圧力が強まっているということ、調査捕鯨を妨害するシーシェパードのことなどをメディアで見聞きしてきた。これらの報道と鯨肉の値段が高くなってきたこととが密接な関係にあるらしいことは、門外漢のわたしでも容易に理解することができた。

 昨年12月、日本は国際捕鯨委員会(IWC)をついに脱退することになった。反捕鯨国からの圧力に耐えられなくなったからだ。この脱退により、日本は30年ぶりに調査捕鯨から商業捕鯨に移行することになるが、脱退後も国際ルールにより主に日本海側の範囲のみで捕鯨を行うことになるらしい。かつて日本が国際連盟を脱退して大きく道を踏み外して突き進んだことがあったが、決してそうしたことがないよう日本政府に望みたい。

 調査捕鯨であれ商業捕鯨であれ、日本の捕鯨が世界のクジラ資源を枯渇させる大きな要因になるのであれば、わたしも反対の手を挙げざるを得ない。しかし、現在のところその辺の根拠は不確かなようであり、種類によってはクジラが増えているという調査報告もあるので今のところ何とも言いようがない。

 ただ、「クジラは知性が高いから特別だ」という理由から反捕鯨を唱えることについては大いに疑問がある。捕鯨と反捕鯨は食文化の違いであり、ゆえにこの違いを善と悪の対立構図にするのはおかしい。例えば牛がクジラよりも知性が高いか低いかは別としても、愛すべき動物だと思っている人々はたくさんいる。しかしその牛を食肉にしているからといって、その食文化を非難するという話は聞いたことがない。

 わたしたちは異なる文化と向き合うとき、余程の倫理的な問題がない限りお互いの文化に敬意を持ち、理解し合わなければならないと教えられてきた。国家間ではなおさらである。捕鯨国と反捕鯨国とが、この原則に基づいて歩み寄ることを期待したい。