【街景寸考】高級品だったバナナ

 Date:2021年10月06日08時29分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 昭和30年代、果物の王様と言えばバナナだった。大好きだったバナナは年に1度か2度しか食べることができなかった。子どもながら、バナナが他の果物より値段の高い高級品であることが十分想像できた。

 当時、バナナを食べる機会があるとすれば、遠方から訪れた客人が土産として持ってきてくれたときや、家人に連れ立って病院へ見舞いに行った際に、その病室の患者さんにもらうときくらいで、自分の家用に買ってくるということはただの一度もなかった。

 実際、バナナは高かったようだ。当時ニコヨンと呼ばれる日雇い労働者の日当が400円くらいだった頃、バナナは1房250円前後していたそうなので、いかに高級品であったかが分かる。現在の金銭価値に換算すると1房5000円程度にもなる。

 因みに、日雇い労働者のことをニコヨンと呼んだのは、失業対策法によって定められた当初の定額日給が240円(百円2個と10円4個)だったことに由来している。今ではこの言葉を知る人はほとんどいなくなったのではないか。

 バナナが果物の王様だと思えたのは、値段がとび切り高かったという理由だけではない。他の果物と比べても実際一番美味しいと思っていたからだ。バナナを食べるときは、減っていく残りの分をじっと見ながら、少しずつもったぶりながら口に入れていた。2本も続けて
食べることなど、夢のまた夢だった。

 その大好きなバナナの食感は、柔らかすぎず硬すぎず、しっとりと優しく甘かった。これほどの贅沢感を味わって食べることができる果物は、他になかったと言っていい。更に言えば、いとも簡単に皮をむくことができることや、種や芯がないので何の警戒心もなく頬張ることができるという点でも、十分王様の資格があるように思えた。

 もっとも、このバナナはかつての台湾産のことであり、現在大量に市場に出回っている安価なフィリッピン産ではない。フィリッピン産は残念ながら美味しいと思って食べた記憶はない。産地が違うとこうも味が違うものなのかと驚いたことがあった。もっとも、小学生の頃に食べた台湾産の味と、今のフィリッピン産を比べるのは不当なのかもしれない。

 最近、フィリッピン産が美味しくないと思うのは、わたしの勝手な思い込みなのかもしれないと思うようになった。同時に、かつての台湾産のバナナを実際よりもかなりひいき目で見てきたのかもしれないと思うようになった。加えて、大人になってからわたしの口が肥えてきたのが原因だったということもあり得る。

 つい先日、こうした考えを肯定するような場面に遭遇した。2歳の孫が昼飯を済ませた直後に、バナナを欲しがったのでフィリッピン産を1本差し出したときのことだ。とても全部食べることはできないだろうと思っていたら、ペロッと全部食べてしまったのである。

 この光景を見たとき、わたしは「フィリッピン産も美味しいよ」と孫から教えられた気がし、同時に台湾バナナに対するひいき目を自制するよう促された気さえしていた。