【街景寸考】鼻毛のこと

 Date:2021年08月18日10時03分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 新型コロナ禍、他人事ながら気になっていることがある。マスクから鼻が出ている光景だ。某政党の幹事長も会見しているときに見せる光景だが、鼻出しで威張り腐っている表情が滑稽である上、間抜けにも見えて余計嫌悪感を覚える。しかも、鼻汁が垂れているわけではなく、鼻クソが見えているわけでもないのに、汚らしく見えて仕方がない。 稀ではあるが女性の鼻出しマスクを見ることもある。前出の幹事長ほどではないが、矢張り多少は間抜けに見えてしまう。女性の場合は直ぐ鼻出しに気づき、マスクをつまんで鼻を覆い隠そうとするが、幹事長のようなオッサンたちは知ってか知らいでか、鼻を晒したまま覆い隠すようなことはない。不愉快極まりない光景である。

 鼻は人間の顔を構成する重要なパーツの一つだが、鼻出しマスクの鼻はなぜこうも嫌悪感を覚えるのか不思議に思う。マスクをしていないときの鼻は、ときとして立派にも見えることがあり、立派ではなくとも嫌悪するようなことはない。と言うより、鼻は顔の中のどのパーツよりも中心的な存在のように思えるときがある。

 わたしの鼻はといえば、特に目立ったところのない平凡なかたちをしている。学生の頃、欧米人のような高くて細い鼻に憧れていたわたしは、少しでも鼻を高くしたいという思いから、痛いのを我慢して鼻の先に洗濯バサミを挟んでいたことがあった。結果は、何の効果もなく痛い思いをしただけだった。「努力は必ず報われる」という言葉を信じて臨んだ自分の馬鹿さ加減を、今更ながら思う。

 鼻毛のことにも触れておきたい。いくら顔立ちが良くても鼻毛が何本か出ているだけで、男ぶりが格段に下がって見えるのはわたしの目だけではなかろう。わずか1本でも男ぶりが下がって見えるのは、鼻毛が鼻汁や鼻クソの間を潜って出てきた嫌悪すべき物という思いがあるからに違いない。

 鼻毛のことをそういう見方をするようになってからは、自分の鼻毛にも気になるようになった。30代になってから特に気になるようになってきた。講習会や研修会の講師として、人前で顔を晒す機会が増えてきたことが影響していたように思う。鼻毛を晒したオッサンたちの、あのおぞましい姿は見せられないという思いがあった。

 それからというもの、わたしは鏡を見るたびに鼻毛の伸び具合を点検するようになった。そして1本でも出ていたら抜くようにしてきた。最初の頃は上手く抜くことができずに激しい痛みが走り、直後にくしゃみが出たりしていたが、段々痛みを伴わないで抜くことができるようになった。
2本の指でしっかり掴み、電光石火のごとく引き抜くのである。この域に達するまで、2、3年はかかったように記憶している。

 昨今、わたしの鼻毛は白いものばかりになった。黒毛より嫌悪感が和らいで見えるが、勢いのない白毛を見るたびに老いの寂しさを覚えなければならなくなった。