【街景寸考】「師走の過ごし方」のこと

 Date:2018年12月12日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 「師走」の「師」が僧侶の意味だったということを、最近知った。かつては冬の季節になると、僧侶を招いて読経などの仏事を行う家が多かったため、お坊さんが東西に忙しく走り回ったというのが「師走」の主な語源説のようだ。

 毎年そうだが、師走になった途端にどこか気ぜわしい気分になる。まるでパブロフの条件反射のように、脳が反応してしまうのかもしれない。そのせいか、商業施設で買い物をする客が普段より多くなったように見え、幹線道路を走る車の数も増えているように見え、世間全体が普段より速めに動いているように見える。

 この気分に拍車をかけるのが、11月末から量販店や商店街に流れるクリスマスソングであり、店頭に陳列されるお歳暮商品や鏡餅などの正月用品である。特に店内に「サンタが街にやってくる」や「ジングル・ベル」などの曲が流れていると、普段買わない物まで買わないといけない気分になってくる。若い頃、パチンコ屋で負けそうなときでも、軍艦マーチが流れてくると最後は勝てそうな気分になり、何度もパチンコ玉を買っていたことがあったが、そのときの心理に酷似している。

 郵便局でさえも、一味となって11月早々から年賀ハガキを売り始める。忘年会も12月に会場を予約することができなくなってきたため、近年は11月後半から行う団体・グループも増えてきた。旅行代理店が企画する年末・年始向け旅行プランの売り込みも、烈しさを増してくる。こうした動きも、師走特有の気ぜわしさに拍車をかける。

 我が家の場合に限って言えば、年末年始に向けての特別な仏事も神事の準備もなければ、親から受け継いできたしきたりもない。せいぜいカミさんが仏壇まわりを鏡餅や供花、供物で多少の正月らしさを演出するくらいである。後は、お歳暮の送り先や品物を決めたり、子どもたち家族と過ごすために必要なものを準備したり、大掃除や年賀ハガキのことが気がかりになる程度である。もっとも、これらに立ち向かうのは24日以降のことである。

 要するに、実際に気ぜわしくなるのは、年の瀬の正味3、4日くらいのことである。それなのに師走の空気に巻き込まれて、気ぜわしい気分を抱えながら過ごしている。このことを残念に思う。今年の師走は「我が家は我が家、他所は他所」という頑固な気持ちを持ち、気ぜわしさに心乱されることなく過ごしてみたいと思う。

 正月も同様である。その由来が歳神様を迎えて新しい年の豊作を祈るという神事だったことを思えば、いかに現在の正月の有様が歪(いびつ)になってきたかを思い知る。1月は「睦月」とも言う。家族揃って睦みあうというのが語源のようだ。この語源に少しでも近づくような正月を過ごしたいと思う。