【街景寸考】「教師のひいき」のこと

 Date:2018年05月30日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 教師が特定の生徒をひいきしているのではないかと初めて思ったのは、小学校6年生のときだった。担任の女性教師がひいきをしていた生徒は、医者の息子だった。勉強もよくでき、朗らかな性格で、可愛いらしい顔をしていた。

 わたしはと言えば、勉強が嫌いで授業中は落ち着きがなく、近くの席にいる生徒にいつも悪戯をするような生徒だったので、担任からの受けは相当悪かったはずである。そのせいか、わたしも朗らかな性格だったが、担任はその辺を長所とは見ず、「楽天家で、おっちょこちょい」という短所としてしか評価してくれなかった。

 ひいきをする生徒が可愛い仕草で周囲に愛嬌を振りまくたびに、担任は「まあ、可愛い」を必要以上に連発していた。わたしも見ようによっては可愛らしい方だと思っていたが、一度たりとも担任から「まあ、可愛い」と言われたことはなかった。それどころか、わたしと顔を合わすことがあると無表情を装っていたように思う。

 これぐらいのひいきは我慢できた。ひいきをされない生徒の方が圧倒的に多かったからだ。ところが、ひいきがからんだことで、どうしても我慢できないことがあった。ソフトボールの学校対抗試合のための選手選考時のことである。選手は6年生の各クラスから3名ずつ選考されることになっており、上手さではトップクラスを自負していたわたしは当然選手に選ばれると思っていた。ところが、何と選考から外されたのである。

 担任から発表があったとき、わたしは何かの間違いだと思った。担任がうっかりわたしの存在を忘れているのだとしか思えなかった。しかも、選ばれた3名の中にそれほど上手くもなかった医者の息子が入っているではないか。わたしは激怒した。

 担任の選考方法にどうしても納得できなかったわたしは、「ひいきだ、ひいきだ」と心の中で何回もわめきながら、学校の廊下をあてもなく歩き続けた。ひいきによってしわ寄せを喰らったことは明白だった。加えてわたしが勉強嫌いな生徒だったことも、あるいは授業中に悪戯をする生徒だったことも外された理由になっていたのではないかと思えた。

 だとしても、選考はあくまでソフトボールの上手下手で判断すべきであり、見当違いな材料をもちだして不公正な選考をした担任のやり方に、わたしは納得できるはずはなかった。わたしは、ひいきの生徒を選んだ担任を憎み、恨み、校庭のすみで悔し涙を流した。

 教師だって人間なのだから、ひいきはする。このことを、わたしは中学生になった頃から確信するようになった。ただ、このときの選手選考のことだけは未だ納得できずにいる。