【街景寸考】東京大衆歌謡楽団のこと

 Date:2018年05月23日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 サラリーマン時代、年に2、3回ほど飲み会の後にカラオケに行くことがあった。歌っていたのはいつも同じ曲ばかりだった。尾崎紀世彦の「また会う日まで」やチョー・ヨンピルの「思いで迷子」など数曲だ。

 本当は子どもの頃の流行歌も歌ってみたかったのだが、若い同僚たちが歌うテンポの速い曲に混じって歌うのは肩身が狭く、たとえ歌っても興が冷めるのではないかという恐怖心や羞恥心もあって、選曲することができなかった。

 子どもの頃の流行歌というのは、三橋美智也の「哀愁列車」や「古城」「夕焼けトンビ」、三波春夫なら「船方さんよ」「チャンチキおけさ」、春日八郎なら「お富さん」「別れの一本杉」などである。もっと古い歌も知っていた。「上海帰りのリル」「東京ラプソディ」「高原列車は行く」などだ。

 こうした「懐かしの歌謡曲」から60年近く遠ざかっていたことになるが、今回思いもよらぬ楽団の登場によって再び歌える喜びを得ることができた。東京大衆歌謡楽団のことだ。戦前・戦後の流行歌ばかりを堂々と歌うこの楽団は、長男がボーカル、次男がアコーディオン、三男がベースを担当していた。いずれも30代前後の若き3兄弟の小楽団である。

 この小楽団が佐賀市で演奏することを知り、カミさんと聴きに行ってきた。当日、会場は60代、70代、80代の高齢者でいっぱいだった。高齢者のどの表情も、開場前から青春時代に戻ったような輝きを放っていた。

 長男の歌声は、津村謙や霧島昇、藤山一郎、近江敏郎が上手くブレンドされたような、期待どおりの透き通った美しい声をしていた。その懐かしい歌声を聴いていると、子どもの頃の自分と周りの情景が浮んできた。更には、まだ若かった親世代が経験してきた戦前・戦後の苦しかった暮らしやその背景まで想像し、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。

 数曲のアンコールでは「東京ラプソディ」も歌われ、会場は最高潮に盛り上がった。隣席の70歳中程かと思われる女性は、「♪恋の都」の歌詞のところがくるたびに、「みやこっ!」と、大きな声で合いの手を入れていた。わたしもこれに同調して「みやこっ!」と叫んでみたかったが、そこまでのぼせた姿をカミさんに見せる勇気はなかった。

 公演後、当日買った同楽団のCDをカミさんと何度も聴き、歌うようになった。わたしは何かの呪縛から解き放たれたように、堂々と大声で「懐かしの歌謡曲」を歌うことができるようになった。この小楽団からの思いがけない贈り物を頂いた心境である。