【街景寸考】軽口のこと

 Date:2018年02月28日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 文章を書くときは言葉を選びながら紡いでいくので、他人からひんしゅくを買うことはあまりない。ところが喋っているときは、思いのまま、勢いのまま口を開くので、ときには軽口や放言になり、人を怒らせたり、傷つけたりすることがある。 
 
 そのことが災いを招く結果になることもある。災いにならなくても、喋った後から後味の悪い思いをし、後悔をしてしまうことが少なくない。こんなとき「口は災いの元」という昔の人が残した戒めをひしと思うのだが、舌の根の乾かぬ内からまた軽口を叩いてしまう。そして肥溜めにはまったときのような、惨めな気持ちになる。

 なぜ人間は(特にわたしは)、こうも喋らずにはいられないのだろうかと思う。会話が途切れて、間合いが取りづらくなったとき、その間合いを埋めようとして咄嗟に喋ることがある。この場合は、自分でも何を言っているのか分からなくなることがある。

 ウケを狙って何か面白いことを喋ろうとすることもあれば、相手に気に入ってもらおうと、自分の意志に反してお世辞を言うこともある。

 周りの空気を読むことができないまま、自分だけが喋り続けることもたまにある。更には、わずかな知識をひけらかしたくなって、喋り続けてしまうこともある。更に更に、内緒にしていなければならない話を、誰かに喋らずにはいられなくなるときもある。

 内緒話のことで少し付け加える。内緒話を洩らされても、彼ら彼女らを恨んではいけない。「内緒にしておいて」と念を押されたら、誰かに話したい衝動にかられるのが人間だからだ。人間というのは、そういう性質のようだ。内緒話をするなら、他に洩らされるという覚悟をして喋らなければならない。

 政治家の失言、放言は、政治資金パーティや同じ党内での会合のときに多い。リップサービスをしようとして余計なことを喋ったり、ウケを狙って笑わそうとしたりするからだ。「長靴業界はだいぶ儲かった」発言をした某政務次官もその類である。公人としての自覚に欠けた発言であり、頭の悪さを露呈した発言でもあった。

 洗練されたユーモアは、周りにいる者を心地良い笑顔にする。わたしの場合、ここでユーモアの一つでもと思って喋ったことが、大抵ただの軽口になってしまうことが多い。そのことを後悔しても、嫌悪感に苛まれても、懲りずに繰り返してしまう。

 ここは開き直るしかない。お互い軽口を言い合うから人生は面白いと。考えながら喋っても、喋る者も聞く者も面白い会話にはならないはずだ。そう思うようになった。