【四字熟語の処世術】意馬心猿

 Date:2012年09月07日16時15分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任
「意馬心猿」(いばしんえん)



夏休みも終わり、子供たちの元気な声が通学路に響いている。夏休みに本を手にした子供は多いと思うが、中には「西遊記」を読んだ子もいるのではないだろうか。原書は相当に長編だが、物語は三蔵法師一行が経典を求めて長安の都から西天天竺へと向かう話。道中、色々な妖怪が出てきて道を阻み、孫悟空が中心となって妖怪を退治するという、子供でも楽しめる内容で人気の本だ。

今回はこの西遊記の主人公、「猿」の悟空と三蔵法師を載せて天竺への旅を助ける「馬」にまつわる四字熟語「意馬心猿」を紹介したい。

さて、会社勤めの頃は人の心の不思議さを感じることが少なくなかった。周りの環境は何も変わってはいないのに、ちょっとしたことで心が波立ち苦しみを抱えてしまう人をたくさん見てきたからだ。

会社勤めの人間にとって昇給は何よりの喜び。少しでも昇給すれば隠し切れない嬉しさに笑みがこぼれてしまう。しかし、誰かが他の社員の昇給額を口にした途端、顔が曇ることも少なくない。自分にとって人の昇給額など関係ないものを…

なぜ、人は他と比較して自分の喜びを無にしてしまうのだろうか。冷静に考えてみれば実に不思議なことであり、愚かなことである。

自分だけを見つめていれば幸せな気分を維持できるものを、他と比較する自分がいるばかりに、その幸せを自分から放棄してしまう。人の幸せで自分の幸せが奪われたわけでもなんでもないのに…。

意馬心猿…意は馬のごとく駆け、心は猿のごとく騒ぐ。実に人の心意を言い当てた言葉である。

先ほどの「西遊記」には深い道理が隠されている。猿の姿をした主人公の悟空はこの「心猿」の象徴であり、三蔵法師が乗る馬は「意馬」を象徴している。つまり、「本性」(仏性)の象徴である三蔵法師がしっかりと「心」の象徴である悟空を制し、「意」の象徴である馬を上手く乗りこなせば、悟りの地である天竺は目の前にあるという教えなのである。

心が乱れれば意識はあっちへこっちへと飛び回って、自分自身を苦しめ疲れさせる。馬のごとく駆ける「意識」と猿のごとく騒ぎ乱れる「心」を繋ぎとめる三蔵法師の役目は自分の本性が握っている。

本性とは理性である。理性が心意に振り回されないためにも、時には深呼吸するなり、内省の時間をみつけて静かに座ってみるのもいいかもしれない。